学園長 自己紹介  

aki-dylan

晴耕学園 REAO 代表 

中根盛大(なかね せいだい)

プロフィール概要

・小学校教員として公立小学校に13年勤務 (2024年3月31日退職) 

・2024年4月 晴耕学園 REAO を設立。

取得免許

小学校教諭

公認心理師 登録番号 :49649 号

ぶっ飛んだ教師、クレイジー。

民間企業時代に通信で教員免許を取得し、30歳で転職。

20代はシンガーソングライターとしても活動し、大物歌手が所属する事務所からスカウトされ、CDデビューも経験。

専門教科は国語。

型にはまらない学級経営、子どもの凸凹を大切にする教育方針を軸に教育活動を行ってきました。

そして、今の学校ではなかなか体験できないようなことも、たくさんやってきました。

例えば、夏には水鉄砲大会でびしょびしょになり、ペットボトルを飛ばしてドロドロに汚れ、真冬にプールの水が氷れば子どもを引き連れて氷遊びをしたりと。

学習の場面では、子どもどうしがたくさん話し、いつでも歩き回り、黒板にもたくさん書き込めるような学習スタイルを大切にしてきました。

教師が一方的に教えるよりも、少しがんばったら越えられるハードルをたくさんちりばめて、子どもの力でクリアしていく、そんな学びを第一に考えて教師活動が大事だと今でも強く思っています。

しかし、子どもを思えば思うほど、時間の制約は大きくなり、また、他の学級とのバランスや周りの教員からの見えない圧も大きくなり、年々、自分の思い描くような教育活動はやりづらくなり、ごくごく一般的な公教育を行う、一教師に染まっていく自分がいました。

そんな自分に嘘はつけず、年々、教員引退の思いが強くなっていきました。

分岐点となったコロナ禍

若い世代の教員が増えていく中、担任を外れ2年間、理科と英語のみを教える専科という役割を担当しました。

新たなポジションで戸惑いもありましたが、とにかく自分のやってきたことを信じて、子どもがワクワク、生き生きするような授業を毎時間提供していきました。

もちろん夏には水鉄砲大会を隠れてこっそりとやりました。

コロナ禍真っ只中というのもあり・・・。

結果、子どもたちから授業が面白すぎる、来年も見てもらいたいという声が殺到しました。

廊下ですれ違う子、すれ違う子が「先生、来年も教えてや!担任なってや!」と声をかけてくれました。

たくさんの親御さんからも、「子どもが自信をつけた」「勉強が好きになった」という声をたくさんいただきました。

その時感じた、喜びや確信が今につながっています。

これだけ子どもが良い顔して勉強してくれるなら、いつか自分で学校を創ってやろう。

国家資格【公認心理師】を取得

学級経営や子どもとの関わりに深みを持たせるため、心理や認知についての学びを始め、国家資格【公認心理師】を取得しました。

専門性を磨くため、自ら志願して特別支援学級の担当をさせてもらうことになりました。

任期中に、愛着障害児への適切なかかわり方や心の安全基地の構築の研究を行い、数多くの愛着ケアの臨床経験を積みました。

また、学習が苦手なグレーゾーンのお子さんを複数担当し、ある一人の子が1年間でみるみるうちに自信をつけて、生き生きとした表情に変わっていきました。

1年生の時は、漢字テストは10点、20点。教室の学習にも全くついて行けず、ただボーっと過ごすだけの子でした。

覚えることにはコツがあることを教え、くり返し一緒にチャレンジしていくことで、日に日に学力がつき、自分もやったらできるということを体験したことで、あらゆる面でも積極的になっていきました。

3月の懇談会では、お母さんに大変感謝されました。

そして、この1年の成長を大変驚かれていました。

一つだけ残念なことは、私の退職が目前であり、この先も見てあげられないことでした。

現代寺子屋/フリースクールを創る!

正直、教員を辞めると決めたものの、本当はいったい何をしていきたいのかが、自分でもはっきり見えていませんでした。

公認心理師として、カウンセリングをしたり、障がい児童のサポートとして放課後デイサービスを経営したりしようかとも考えました。

けど、経営うんぬん関係なく、本当に自分が何をやりたいのか、やりたかったのかを毎日、毎日見つめ直して、やっと見つけました。

学校創りです。

公教育でできなかった、アクティブでクリエイティブな場所。

子どもの凸凹を丸めることなく、それぞれの良さや特性を最大限に伸ばせるような学び舎。

そんなキラキラしたことが、300年以上前に日本の寺子屋では行われていたそうです。

だったら自分が、現代版寺子屋を創ろう!ということで、新たな私のチャレンジがスタートしたわけでございます。

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