小さなメディアが持つ「魔法の力」を信じて―「10万個の子宮」

Photo by MARIA

ハレタルの連載コラム「科学書から読み解く私たちの“生きる知恵”」の執筆者である医師でジャーナリストの村中璃子さんが、2017年11月30日(日本時間)、英科学誌『ネイチャー』などが主催する「ジョン・マドックス賞」を受賞されました。

村中さんはこれまで、日本において広く浸透している「子宮頸がんワクチンは危険だ」というイメージに対して、緻密な取材を重ね、科学的な観点からその安全性についてあらためて検討するよう強く主張してきました。ジョン・マドックス賞は、困難に遭いながらも公共の利益に資する科学的な考え方を社会に広げた人に与えられる国際的な賞です。

インターネットサイト「note」に公開した小文「10万個の子宮」が、多くの人に読まれている。これは去る11月30日、私がジョン・マドックス賞を受賞した際に、ロンドンで行われた授賞式で披露した英語スピーチの日本語訳である。

スピーチに書いた通り、苦労した後、2018年2月にはやっと同名の書籍『10万個の子宮――あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか』も上梓することになった。「10万個」の理由は、スピーチにもある以下の一節に書いた。

日本では毎年、3000の命と1万の子宮が失われている。

母校の北海道大学で講演をした際、ひとりの若い産婦人科医が私にこう尋ねた。

――僕たちだけあとどのくらい子宮を掘り続ければいいんですか。
子宮を「掘る」、すなわち子宮を摘出するという意味だ。

日本では国家賠償請求訴訟が終わるまでには10年を要すると言われる。また、訴訟が終わるまで、接種再開を決断できる首相や官僚は出ないだろうとも言われる。よって、もし子宮頸がんワクチン接種再開まであと10年を待つ必要があるとすれば、日本人の産婦人科医は、いったいいくつの子宮を掘りだせばいいのだろうか。

答えは「10万個」だ。

掘り出した10万個の子宮を想像してほしい。その持ち主である女性たち、そこから生まれ母を失った子どもたちを。そこから生まれてくるはずだった子どもたちを。

子宮頸がんワクチンは、私がかつてはたらいていた世界保健機関(WHO)からも強く推奨され、世界130カ国で使われている。しかし、日本では、けいれんや車いす姿の女の子たちの映像から「子宮頸がんワクチンは怖い」という印象と科学的根拠のないストーリーが社会を埋め尽くし、政府はこのワクチンを定期接種に定めたまま事実上停止するという奇妙な政策決定をした。政府はこれを「一時的」な措置だとしていたが、「一時的」は何年も続き、昨年7月には世界初の国家賠償請求を求める集団訴訟まで起こされている。

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今回の受賞に際して、『ネイチャー』や海外メディアは、「国を挙げての反子宮頸がんワクチン運動」「反ワクチン運動が世論も政策も乗っ取った異常事態」と日本の状況を厳しく批判し、私の孤独な執筆活動を讃えてくれた。

しかし、同じ『ネイチャー』でも、2014年に小保方晴子さんがSTAP細胞の論文を発表したときとは異なり、私の受賞に対する日本のメディアの反応は消極的だった。多くのメディアにとって、私の受賞を報じることは今までの自分たちの主張を否定することにもなるし、反ワクチン運動家から攻撃されることを恐れてのことかもしれない。

それでも「10万個の子宮」は、びっくりする勢いで読まれ、たくさんの応援のコメントをもらった。私のツイッターは「10万個の子宮」につけた、泣いているような青い花のアイコンで埋め尽くされた。

有名な漫画家や小説家の作品がたくさん並ぶ「note」で、この地味なスピーチは人気記事のトップにまでなった。「10万個の子宮」を読んだジャーナリストや評論家が、私の受賞を積極的に報じないことを問題にするいくつもの記事を書いた。

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そして今日12月22日、今週に入って厚生労働省が急きょ開催を決めた子宮頸がんワクチンの副反応について検討する会議が行われる。会議後には、子宮頸がんワクチンによる被害を訴える人たちによる記者会見も予定されている。

被害を訴える人の声には迅速に応じた日本政府が、必ずしも国際社会からの批判にもすぐ応えるというわけではないだろう。私の受賞を素通りしたラージメディアは、また子宮頸がんワクチンの薬害をほのめかす報道を出すかもしれない。

でも私は、どんなに小さくてもメディアが持つ「魔法の力」を信じる。

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2015年9月にメディアを賑わせた、波打ち際に横たわる、息絶えたシリア難民の男の子の写真――。あの写真で、難民排斥に傾いていた欧州の世論が逆側に振れた。メディアは人びとの対立を煽り、憎しみや不安や恐怖などの負の感情を広げる。けれども、黒優勢だったオセロの盤がたった一手で白優勢に変わってしまうように、メディアは、それが一片の写真であっても社会の空気を一変させる「魔法の力」も持つ。

ネット社会では合理的根拠のない不安な情報に惑わされることも多い。しかし、受け身ではなく自分の頭を使って情報を読む習慣を持てば、社会と科学を正しくつなぐ情報を見極めることはできる。それを、広めることもできる。そうすれば、10万個の子宮が掘り出されるのを10年も待つ必要はないはずだ。

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