終末期に見る幻想と限界

私たちの“生きる知恵” 村中璃子

「どこの葬儀社を使いたいですか?」
私は二種類のショックを受けた――本気で今この話をするのか?――そして、この看護師にとって、この質問はしごく当たり前、常識的だったことである。
「イェイガーだ」、父は躊躇なく言った。ずっと前から父は考えていたことに私は気づいた。父は冷静だった。しかし、母は青ざめた。ここまでは母の心の準備ができていなかった。

前回に引き続き、外科医でジャーナリストのアトゥール・ガワンデが書いた『死すべき定め』を取り上げる。冒頭は、いよいよ終末期に入ったガワンデの父親が、ホスピスに入所する際に看護師と交わしたやり取りだ。

エピローグでガワンデは父親についてこう記している。

「限界に直面したときに父がしたことの一つは、それを幻想抜きで見る事だった」

とはいえ、幻想抜きに限界を見たところで、限界に到達する過程で訪れる心身の苦痛を100%免れることはできない。末期がんのガワンデの父の場合、特に苦痛だったのは、ほかのがん患者と同様に痛みの問題だった。ただ、ガワンデの父がほかのがん患者とは違っていたのは、彼がガワンデと同じ外科医だったことだ。

処方の権利と医学の知識を持つガワンデの父は、痛みを逃れるため自分で麻酔を調整していた。そのことで「激しい痛みに苦しむ時と、まるで酔っ払っているかのように薬でぼんやりして呂律が回らず、会話は意味不明で手足もおぼつかなくなる時の間を行ったり来たり」するようになっていた。

ところがホスピスに入所した数日後、ガワンデはホスピスの単純な指示が生んだ大きな変化に驚く。ホスピスは、父親が処方をいじることは止められなかったが症状と薬の記録をとるよう指示し、看護師は訪問のたびに父と薬の調整をした。その結果、「痛みと酔っ払い」のぶれは小さくなり、やがて酔っ払い状態はなくなって痛みは軽くなった。幻想抜きに限界を見て行動をとることが、痛みという心身の苦痛を軽減させたのだ。

Photo by MARIA

ガワンデの父のように幻想抜きに限界を見つめ、周囲のサポートを得ながら残された時間を充実させる人もいる一方で、幻想をもって限界を見ることで終末までの時間を過ごす人も多い。

以前、こちらの連載で「希望という名の魔法を信じる私」というコラムを書いた。人は、化粧品と同様、効くとは証明されていない代替医療であっても、希望をくれるからそれを選ぶというものだ。私は、希望のもたらすプラセボ効果は決して無視できないし、積極的に利用すべきである場合も多いと思っている。しかし、希望は死の恐怖を軽減させることはあっても、病気を治療することはない。

こんな報告がある。特に治療可能ながんの場合、代替医療の選択が死を早める可能性があり、代替療法を選んだ患者が5年半後に死亡している確率は標準治療を受けた患者の2.5倍。乳がんでは5.68倍、肺がんで2.17倍、直腸がんで4.57倍というものだ。

Photo by MARIA

ガワンデの父と、代替医療を選んだ女優の選択。終末期医療における「幻想」の価値を私たちはどう考えたらよいのだろうか。もちろん、一つの正解はない。

幻想を持つという行為は、人間という知的生物のみに許されたものだ。そして、どんなデータを示され、どんな幻想を抱き、どんな選択をしたところで、逝く人、残される人のどちらにもやるせない思いが残るのが知性を持つ生き物の死である。そんな中、この本で私が迷い抜きにいちばん好きだと言えるのは、冷淡にも読めるこの一節だ。

ガンジス川は世界の大宗教の一つにとっての聖なる場所かもしれないが、医師である私にとっては、世界でもっとも汚染された川のひとつとして注意すべき場所である。火葬が不完全なままに投棄された遺体がその原因の一つである。そうしたことを知りながら、私は川の水を一口飲まなければいけなかった。ネットでバクテリアの数を調べておいて、事前に抗生物質を服用しておいたのだった(それだけしてもジアルジア感染症を起こした寄生虫の可能性を見落としていた)。

だが、そのとき私は自分の役割を果たせることに感動し、深く感謝もしていた。ひとつでは父が望んだからであり、母と妹も同じだったからだ。そしてそれ以上に、骨壺と灰白色の粉になった遺灰の中に父がいると感じることはなかったのだが、悠久の昔から人々が同じ儀式を営んできたこの場所にいることで私たちを越えた何か大きなものと父をつなぐことができたように私は感じた。

父の母国インドで散骨の儀式に参列したガワンデは、細菌を殺す抗生物質を飲んでからガンジス川の水を口にしたが寄生虫には感染し、骨壺と遺灰の中に父がいるとは感じられなかったという。そして、自分の役割を果たせることに感動し、感謝したが、それも父が望み、ほかの家族も望んだからだという。それでも、自分たちを越えた大きなものと父をつなぐことができたと感じたという言葉は、幻想抜きに物事を見る眼差しと父への深い愛にあふれている。

Photo by MARIA

医学の地平は日進月歩で広がっていく。しかし、それぞれの思いを胸に生を紡ぎ、死を悼む人間の姿はいく歳月が流れても変わらない。このシーンはその当たり前の事実をリアルに納得させながらも、現実を見つめて選択していくことの大切さを私たちに教えてくれる。

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