女優の代替医療宣言と「死すべき定め」

私たちの“生きる知恵” 村中璃子

先日、乳がんを患った女優の南果歩さんが、乳がん啓発のピンクリボンのイベントで、標準治療から代替医療に切り替えたと発言してニュースになった。

がんにならなくても人は死ぬ。がんにかかり、どんな治療を選択してもいつか人は死ぬ。しかし、健康な人はもちろんのこと病気の人も、死という人間の宿命は直視しないようにして暮らしている。「いつかは死ぬ」という現実は、生きていることの証でもある。だから、死を意識する状況に置かれた有名人がどんな治療を選ぶのかといったことが世間の関心事にもなる。

南果歩さんはイベントでこう言ったそうだ。

「私のやり方は一つの症例であって、みなさまに当てはまるものではないかもしれません。こういう考え、治療法があるんだと、表に出る仕事をしているので、わかりやすい見本になると思うんです」

Photo by MARIA

今回取り上げる『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』の原題は“Being mortal”。「いつかは死ぬ」という意味だ。印系アメリカ人二世の現役外科医、アトゥール・ガワンデが書いた終末期医療の本で、本国アメリカではベストセラーになった。ガワンデはこう書いている。

死すべき定めとの闘いは、自分の人生の一貫性を守る闘いである――過去の自分や将来なりたい自分から切り離されてしまうほど自分が矮小化や無力化、奴隷化されてしまうことを避けようとすることである。

最近では小林麻央さんや川島なおみさんなど、これまでにもがんに冒された有名人が次々と代替医療を選び、その事実をメディアに公表してきた。

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過酷な芸能界を生き残ってきた有名人たちにとって「自分の人生の一貫性を守る戦い」とは、少なくとも延命に固執することではないのだろう。分かりやすい戦い方のひとつが、大方の一般人が選択する標準医療を否定することによって、最期まで世間の耳目を集め続けることなのかもしれない。標準医療を選んだところで、いつか人は死ぬのだから。

死を意識したときに

終末期医療と聞くだけで、お説教もお涙頂戴もスピリチュアルもごめんだと拒絶する人もいるかもしれない。しかし、この本が扱うのは、医者のお説教でも涙をそそるだけの物語でもインド的精神世界でもない。そこにあるのは、医学をよく知る人もそうでない人も、いつかは訪れる「死を無視できなくなった日」にきっと読み返したくなる良き物語だ。

ガワンデによれば、医学の対象は狭い。「医学専門家は魂の支えではなく、健康を回復することに集中する。しかし、ここが辛いパラドックスである――現代のわれわれは、人生の黄昏をどう過ごすべきかについて、医学と施設に委ねることに決めてしまっている」

では、死を意識した人が、残りの人生をどう過ごすべきかの判断を医学と施設に委ねないとすれば、いったいどうすればよいのか――。

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本書を通じて語られるガワンデの父の最期に関する物語と、医学と施設の判断を退けた南さんの闘病とは、対照をなしながらも共通する部分を持つ。医学に関する理解の不足や不安からくるものであれ、医学の限界を知ることからくるものであれ、「自分で選ぶ」という姿勢である。

ガワンデの父は、ガワンデと同じくアメリカでメスを執る外科医だ。ある日、脊髄に大きな腫瘍(がん)が見つかった。自分で自分を手術することだけは適わないが、通常の患者とは全く別のレベルで医学的データを理解し、治療を選択できる立場にある。

ガワンデの母、すなわちガワンデの父親の妻もまた医師である。つまり、ガワンデ、父、母の「3人で120年になる臨床経験」を持つことになるが、医療をよく知る人たちが束になったところでがんという現実は冷酷だった。一人の外科医が、医師である息子と妻に支えられながら生きた最後4年間の苦しくも充実した物語については、次回のブック・レビューに譲る。

本書は、みすず書房から出ている白い表紙をした、いわゆる「白難本」である。しかし、特定の人しか手にすることのない専門書として埋もれてしまうにはあまりにも惜しい。外科医であり『ニューヨーカー』誌に執筆するジャーナリストでもあるガワンデの文章は、感性と知性のバランスもよく、収集したパーソナルヒストリーを下敷きに医療を語る書籍としてうまく構成されている。さらにいいことに、精神科医である原井宏明氏の優れた翻訳と解説も手伝って、ただの白くて難しい本ではなく、誰の心にも響く1冊となっている。

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