森に教わる私たちの「生きる知恵」

喜ぶ、嫌がる、おしゃべりする、仲間を守る、眠る――。主語が「人間」であれば当たり前の話だが、もし主語が「木」ならどうだろう。

『樹木たちの知られざる生活―森林管理官が聴いた森の声』は、木が文字どおり感情や記憶を持ち、コミュニケーションをとり、仲間を助けあって社会を作る生き物だとの独特な立場から書かれた本である。著者は、公務員としての森林管理官の職を辞し、フリーランスの森林管理官としてはたらく環境保護運動家。本書は、森が身近な存在で、ナチュラル志向の強い本国ドイツでベストセラーになった。

科学の本として読むと、批判したくなる部分もある。けれども、木や森を理解するための入門書だと考えると、知らぬ間に人をいたわる優しい心持ちになってくるから不思議だ。

筆者が管理する古いブナ林の中で見つけた、苔生した古い岩の話が印象的。よく見るとそれは岩ではなく、400年から500年ほど前に切り倒された、古い大木の切り株だった。ところが、ポケットからナイフを取り出して、樹皮の端をはがしてみると緑色の層が見えてくる……。

樹木は葉が無ければ光合成ができない。だから、切り株は呼吸も成長もできるはずがない。ところが切り株は、森の地中に張り巡らされた根や、地上に張り巡らされた菌糸のネットワークを通じ、周りの樹から栄養を得て、何世紀ものあいだ生き続けていた。

筆者はこれを「樹木の社会」と呼ぶ。そして、樹木が社会を作り、ときにはライバルにも栄養を分け合う理由は、「協力することで生きやすくなるから」とする。

この話を読んだ私は真っ先に、ドイツの森からはいくつもの陸や海を隔てた、ある沖縄の離島で聞いた話を思い出した。

Photo by MARIA

島というコミュニティは一見、のどかでアットホームに見える。しかし、実際には小さなムラ社会で、悪口や喧嘩が絶えない。しかし、悪口や喧嘩ばかりで島の居心地が悪ければ、島でもっとも大切な資源である「人」が減っていってしまう。だから島では、どんなに自業自得の理由で困ったことになった人にも結局は手を差し伸べ、悪口も喧嘩も収めて仲よくしていくしかないのだという。

ドイツ・リューベックの研究者が、密集している森の方が密集度の低い森よりも、資源(主に木材)の年間増加率が高いことを発見した。つまり、1本1本の樹に十分な栄養がいきわたるよう人間が手を入れた森よりも、密集している森の木の方が健康だということだ。

その理由は、「1本の木の寿命はそれが立つ森の状態に左右される」から。人間が間引いた森では、1本1本の木が勝手に成長し、一部の木はどんどん光合成をして糖分を蓄えてよく生長するが、長生きすることはない。

連携を失った森にはたくさんの“敗者”が立ち並ぶことになる。養分の少ない土壌に立っている木、一時的に病気になってしまう木、遺伝的に欠陥のある木、そういったメンバーが強いものから助けてもらえずに衰弱し、害虫や菌類の攻撃を受けやすくなってしまう。強者だけが生き延びるのは、進化の過程において当然のことだと考える人がいるかもしれないが、樹木はそうではない。

コミュニティ内部での競争に勝ったところで、弱いものに手を差しのべない社会には、外部から災いが及ぶ。結果として、強いものも長くは生きられないというわけだ。

もちろん、森の中にもたくさんの厳しい競争がある。周囲の助けを得て何百年も生き延びる切り株もいるが、ほとんどの切り株は見捨てられ、朽ちる運命にある。しかし、「社会の真の価値は、そのなかのもっとも弱いメンバーをいかに守るかによって決まる」。

Photo by MARIA

生きていた頃の老木は、森の中で重要な役割を果たしていた。古い木の枝分かれた根元にはたくさんの苔が生えている。苔の中には藍藻とよばれる細菌が生息し、空気から窒素を取り込んで木が利用できる形に変換している。こうしてつくられた天然の肥料は、雨に流されて地に落ち、根から吸収され、子孫が成長しやすい環境を作っていた。

生産性のピークを過ぎた木も、コミュニティの安定化に貢献する。安定した環境で行われる次世代間の競争は、必然として助け合いを生み、コミュニティの生産性をひき上げる。つまるところ、最強のコミュニティを作るための秘訣は、「小さき弱き仲間への愛」ということか。

これは、国や地域コミュニティはもちろんのこと、企業や学校などの組織、ひいては家族というもっとも身近で大切なコミュニティを運営していく際にも役に立ちそうな「生きる知恵」だ。

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