服を通して「根のある暮らし」を伝える仕事

自然な色、シンプルで動きやすいデザイン、流行にとらわれないスタイル、完全国産の丁寧な仕事……。島根県の世界遺産・石見銀山のある人口400人の集落、大森町発のアパレルブランド「群言堂」が全国でじわりと人気を集めている。
群言堂が目指し、提案しているのは「根のある暮らし」。ブランドの服からは、その思いがにじみ出ている。

群言堂に勤める人たちもまた、大森町という地域に根を張りながら、自然体ではたらいている。移住者の多くは群言堂ではたらいており、人口がおよそ400人の大森町ではここ1年で7~8人の赤ちゃんが産まれているそうだ。

何十年も着られる服を作る

鈴木文乃さんは、群言堂ではたらくために移住した夫との結婚を機に、2014年に大森町へ移住した。出産までは群言堂の本店で服を販売し、17年7月に育児休業から復帰してからは本社ではたらいている。

もともと宝飾品の販売をしていた鈴木さん。「大量に物が作られ、流行ができ、流行が終わると物が廃棄されていくのを目の当たりにしてきました。でも群言堂は、何十年も着られるものを作ろうとしていた」。

群言堂の本社

群言堂は国内生産にこだわり、大森町の近くで採れた植物を煮出して服を染めるといった方法で服を作っている。店に来るお客さんが10年前に買ったものを自分で繕ったり直したりして大事にしていることも新鮮に映ったのだそう。

東京で暮らしていたときは仕事中心で、毎日終電で帰っていたという鈴木さん。今は家から職場まで車で5分。仕事が終わればプライベートを楽しめる。

「時間の流れが全然違います。近くでタケノコやワラビなどの山菜が採れ、週に一度は会長の家に手料理を持ち寄って食卓を囲んだり。そんな会社めったにないですよね」(鈴木さん)。

感性の近い人と共にはたらく

2~3年前から移住を考えていた寺井憲子さんも、群言堂の考え方に惹かれて就職した。服を仕立てるときに出た残布を生かし、袋などオリジナル雑貨に仕立てている。17年春、上の子が小学校2年生になるときに家族で引っ越してきた。

数年前に群言堂が手がける宿泊施設「暮らす宿『他郷阿部家』」を知った寺井さん。「根のある暮らし」を体現した阿部家は、自分がしたい生活を実現していると感じたそう。昨年11月群言堂の求人を見つけたとき、まだ移住を最終決断していたわけではなかったが、この機会を逃してはと応募。現在は夫の実家の近くから片道45分かけて車で通っている。

「群言堂には『復古創新』という考え方があります。これは古いもの、あるものを生かして今の時代にあった使い方をするということ。私は古いものが好きで、直しながら使うというのも共感できる。アレンジというよりも、今の時代に合ったものを作っていく。華美な暮らし方ではなく、本当に日常で、身の丈に合っているんです」(寺井さん)。そんな寺井さんと感性の近いメンバーが群言堂にはたくさんいる。

移住するなら仕事ありき

ブランド「登美」のパタンナーとして型紙作りや服作りにかかわる、神吉(かんき)美穂子さんは、田舎で子育てをしたいという思いから、出産を機に移り住んできた。

「パタンナーの仕事をずっと続けたい」という思いがあったので、移住先を決めるのも仕事ありきだった。「地方でアパレルに関われるところってなかなかないんですよね。群言堂のことは、移住に興味のあった夫が探してきてくれました」(神吉さん)。

神吉さんが島根を訪れたのは、なんと群言堂の面接が初めて。「2月の寒い日で歩いている人もあまりおらず、ここで暮らせるのかと不安になりました。でも迎えてくれた社員の雰囲気がすごくよくて。ここではたらきたい、と」(神吉さん)。夫も近くで別の仕事を得て、そのまま移住を決めた。

「以前の会社では作りたい服のために生地を探していましたが、群言堂では『こういう生地がほしい』と生地作りから始める。その生地も、顔が見える職人さんが作っている。お店がそばにあり、お客様の顔も直接見ることができる」(神吉さん)。

田舎で子育てがしたいという目標も実現できている。大森町に移住した人の多くは群言堂ではたらいていることもあり、週に一度会社を解放し、移住者の集いを開いている。町の人はもちろん、町に住んでいない人や子どもが来てもいい。神吉さん家族も集いに参加することがある。

「どの地域に移住するにしても、知らない場所に住むという点は共通している。ただ仕事は生活の糧だし、暮らしに直結する。雪も降るけれど歩けないほどではないし、子どもたちも雪遊びできる。先はわからないけれど、ずっと暮らしたいと思っています」(神吉さん)。

根のある暮らしを社員それぞれが体現する群言堂。ていねいに作られた商品にはそんな社員たちの思いが詰まっている。

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