「かまどさん」をヒットさせたのは窯元生まれの姉妹だった

テーブルの周りを12人の男女がぐるりと囲む。並ぶのは、夏野菜の炊き込みご飯に、魚介の白ワイン蒸し、ポタージュ、チョコプリン。すべて土鍋で作った料理だ。

これは、東京・恵比寿の土鍋店「長谷園(ながたにえん)東京店イガモノ」で月に4回開催される料理教室の一コマ。長谷園の土鍋を使って料理をしたいという人が多く、料理教室は抽選倍率が4倍になることもあるという。

料理教室。「購入する前にどんな料理が作れるのか知りたい」と参加する人も

三重県伊賀市で発祥した長谷園は、200年の歴史を持つ伊賀焼の窯元。火加減を調整せずにおコメが炊ける炊飯土鍋「かまどさん」は2000年の発売以来、これまで75万台を売り上げた大ヒット商品だ。蒸し鍋や燻製土鍋などさまざまな商品を出しており、手に入るのに数カ月かかるものもある。

火加減なしでごはんが炊けるワケ

伊賀の土には400万年前に生息していた生物や植物の遺骸が含まれていて、高温で焼くと遺骸が燃え尽きて土鍋の中に小さな孔(あな)がたくさんできる。「この孔のおかげで土鍋がゆっくり温まり、食材にじわじわと熱が伝わるんです」(東京店イガモノの店長、長谷伊佐子さん)。

中強火で加熱し続けるだけで料亭のようなご飯が炊きあがる「かまどさん」

「かまどさん」がヒットした理由も、伊賀焼のこうした特長があったから。一般的な土鍋でおコメを炊こうとしても、慣れていないと火加減の調整が難しい。

「かまどさん」なら、3合炊きの場合、中強火で13分加熱し20分蒸らすだけでおいしいご飯が炊きあがる。これは、肉厚に成形された土鍋を通じておコメに熱が伝わるのに時間がかかり、火を止めた後も沸騰状態が続くのでご飯をちょうどよい温度で蒸らせるから。

最近では、温度管理センサー付きのガスコンロに対応した土鍋も出した。土鍋の裏側の構造を工夫したことで、鍋の中の温度がセンサーに正確に伝わるように。長時間火を付けたままにしておいても、センサーが誤作動することが少ないのだという。ほかにも電子レンジ対応の蒸し鍋やおひつなど、時代に合った商品を次々と世に送り出してきた。

ヒットの仕掛け人は

「かまどさん」などを開発したのは、伊佐子さんの父である七代目・長谷優磁さん。数え切れないほど試作を繰り返したという土鍋作りを見てきた伊佐子さんは、「七代目の執念でできた商品」と笑う。

水でのばした土を糊(のり)にして土鍋の持ち手を作る作業。手作業で一つひとつ作っていく

一方で、長谷園が時代に合った商品を世に出し続けてこれたのは、窯元で生まれた優磁さんの4人の子どもたちによるところが大きいように思う。「イガモノ」店長の伊佐子さんはその一人。伊佐子さんの近くで商品開発やPRにかかわるのがお姉さんの櫻井章代さん。長男の康弘さんは八代目として窯元の指揮をとり、二男の哲史さんは生産管理を一手に担っている。

8代目・康弘さんのこだわりでもあるのが「パーツ販売」。以前アンケートをとったとき、「ふたや本体が壊れて使わなくなった」という声がたくさんあったからだ。といっても土鍋はすべて手作りなのでサイズが微妙に異なる。土鍋のふたを注文するときには、家にある土鍋のサイズをきちんと測ってもらい、データを基にスタッフが窯元を探し回るのだという。

炒める、も土鍋でできる

一方、お客さんの身近にいる伊佐子さんと章代さんがこだわっているのは、土鍋をどんなふうに使うかという提案だ。「冬の印象が強いかもしれませんが、季節を問わず、『炊く』『煮る』『焼く』『蒸す』『炒める』のすべてが土鍋でできるんです」と章代さん。「揚げる」以外のすべての調理が土鍋一つでできるというのだ。

東京で販売と商品開発を担う姉妹、櫻井章代さん(左)と長谷伊佐子さん

コツは熱の伝わり方を考えて調理すること。土鍋は一度温度が上がると下がりにくいため、余熱をうまく利用しなければならない。章代さんは、10年ほど前から公式サイト上で400以上のレシピを紹介してきた。

都心のキッチン事情に合う土鍋

都心での家事や子育てを通じて湧いたアイデアや、料理教室で聞いた客さんの声を窯元に届けるのも姉妹の役割。そうして生まれた商品が、鍋料理から煮込み料理、蒸し料理までさまざまな使い方ができる「ビストロ蒸し鍋」だ。

野菜を蒸したり炒め物をしたりおコメを炊いたりと多様なビストロ蒸し鍋

一つの商品で多様な使い方ができる鍋は、収納スペースが限られた都会のニーズに合致した。持ち手を四角くするなど、デザインはそれまでの土鍋にはなかった“洋風”の要素を取り入れて、キッチンにすっと馴染むよう工夫。14年6月の発売から約3年で、8000個を売るヒット商品になった。

柔軟な発想で“売れる”土鍋を作り続ける長谷園。その陰には、土鍋の良さを知り尽くしたきょうだいの、使い手の立場に立った“顧客ファースト”の精神があったのだ。

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