「世紀の天才」を作る子育ての秘訣は?

フンボルトを知っていますか? フンボルトペンギンにフンボルト海流。名前は聞いたことがあるけれど、どんな人だったっけ……?

街や通りの名はもとより、山脈、山、湾、湖、川、ひいては州立公園といった世界各地の地名、実に300種の植物と100種を超える動物が彼の名に由来するそうです。それでもやっぱり「どんな人だったっけ?」と思うのが普通でしょう。

今回ご紹介する本『フンボルトの冒険』は、旅がまだロマンチックな意味をもち、博物学者や探検家が職業として存在していた時代、博物学者で探検家として活躍したアレクサンダー・フンボルトの足跡をたどる1冊です。

フンボルトは、科学者が国境や宗教、言語を超越してつながるようになった「新啓蒙主義の時代」に生まれました。自然の中に「生態系」を見いだし、自然の観察記録を文学にまで高めて「ネイチャーライティング」の基礎を作り、革命の矛先となった各国皇帝をパトロンに世界を旅しつつも遠く南米にまでヨーロッパの革命思想を波及させ「時代を作った」人物でした。

フンボルトが交流した人物は、ゲーテ(詩人)、シモン・ボリバル(革命家)、トーマス・ジェファーソン(アメリカ第3代大統領)、ダーウィン(生物学者)、エマーソン(文学者)、ソロー(文学者)など驚くほど多分野に渡ります。陶磁器で有名なマイセン家も親戚です。

Photo by MARIA

通常の読み方をした場合の本書の魅力は、フンボルトと当時の「超」がつく大物たちとの交友を知ることを通じ、ぼんやりとしていたこの時代がにわかに輪郭を持つようになることでしょう。

しかし、私の興味はフンボルトの交友はもとより、彼がなぜ歴史に名を刻む一科学者に留まることなく「時代を作る天才」になったのかという点にあります。ぶっちゃけて言ってしまうと、どんな家庭に生まれて、どんな教育を施し、どれだけのお金や時間をかければ、フンボルトみたいな歴史を動かすような大物に育つの!?という興味です。

裕福な家に生まれたが

フンボルトは1769年、プロイセン(ドイツ北東部、バルト海南岸の大部分を占める地方)の裕福な貴族の家に生まれました。一家は夏をベルリン郊外にある小さな城館で過ごすほど裕福で、父親は陸軍将校かつ将来のプロイセン皇帝フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の親友、母親は裕福な工場長の娘でした。

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しかし、フンボルトが9歳の時に優しく大らかだった父親が亡くなると、母親は子どもたちに温もりを与える代わりに、家庭教師を雇って当時のプロイセン最高の教育を与えました。家庭教師は啓蒙主義の思想家で、息子たちに「真実や自由、知識に対する愛着」を教えたそうです。

父親の死はフンボルトにとって不幸の始まりでした。母親は子どもがどんなに学業でいい成績を収めても決して満足することがなく、熱帯地方や冒険にあこがれるフンボルトをよそ目に公職につくことを求め、フンボルトもそれに従います。

この本で描かれるフンボルトの母親は、子どもを型にはめて社会的な成功を期待する、典型的な「教育ママ」です。母親の唯一の取り柄は実家にお金があったことで、母親が死ぬとフンボルトはやっと自由の身となり、莫大な遺産を使って海外を旅してまわったと綴られています。

Photo by MARIA

しかし、いくらお金があっても、世界を旅行しても、みんながフンボルトのような大人物にはなるわけではありません。

ヨーロッパや南米、ロシアの山野を歩きながら測量し(自然を「測る」という作業を史上初めてしたのがフンボルトで、たとえば「等温線」を考案したのも彼です)、鉱物や動植物を採取し、実験して過ごしたいくつもの長旅がフンボルトという人物を作ったことは疑いようがありませんが、裕福で教育熱心な母親のお陰で育まれた「真実や自由、知識に対する愛着」があったからこそ、フンボルトは歴史を作る大人物になったのではないでしょうか。

パリの人気者

ナポレオンと同じ年の生まれで、当時「ナポレオンの次に有名だった」というフンボルトは、容姿に恵まれ女性にも人気がありました。しかし、男性の友人しか持たないという独特なセクシュアリティを持ち、生涯独身を通しました。

バイロイトのフンボルト通り(撮影:筆者)

荒野に魅かれ、山野を歩くことを愛した一方で、長年暮らした世界の文化と科学の中心・パリでは、毎晩5カ所ものサロンに顔を出す社交界の中心人物で「早口だが優しい声で話した」そうです。

「まるで幻のようで、ある瞬間にそこにいたかと思うと、次の瞬間にはもうそこからは消えている」「ほっそりとして、華奢で、フランス人のように頭の回転が速いが、ぼさぼさの髪と生き生きとした双眸」を持ち、「40代の初めのはずだが、10歳は若く見えた」というフンボルトは、その偉大な足跡とは裏腹に、虫取り網を抱えたまま母親にその日の冒険を聞かせたがる少年のような人だったに違いありません。

この夏は、森や川に行った子どもを待ちながら日陰で読む1冊として、『フンボルトの冒険』を旅行カバンに潜ませるのはいかがでしょうか。

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