土用の丑の日に考える、うなぎのこと

今年7月25日は「土用の丑の日」。立秋直前の期間である「夏の土用」のうち、十二支の丑にあたる日を指す。土用の丑の日は夏に1回ある年と2回ある年があり、今年は2回。8月6日にも土用の丑の日(二の丑)がやってくる。

獲れる量が4分の1に?

日本は、世界で最もうなぎを消費する国。日本で流通するうなぎ、約5.1万トンのうち4割ほどが養殖で、残りは海外からの輸入だ。卵を産ませて育てる完全養殖が難しいことから、養殖のうなぎであっても天然の稚魚を採って育てている。

東アジアで採れる種・ニホンウナギはこのところずっと減り続けている。「うなぎが暮らす海洋環境が変動したり、食べるために獲りすぎたりすること」(水産庁)などが背景にあるようだ。

10年以降、ニホンウナギの稚魚の不漁が続き、年に20トン以上採れていたものが、9トンほどに落ち込んだ。13年はわずか5トンで、取引価格が倍以上に跳ね上がった。街のうなぎ屋が次々と値上げに踏み切ったのは、ちょうどその頃だ。

こうした経緯があって14年、ニホンウナギは国際自然保護連合(IUCN)により、絶滅危惧種に指定された。15年以降は稚魚の採れる量が15~17トン前後に増え、今年は15.4トン。だが、これからも多くの稚魚を採り続けられる保証はない。

スーパーの安いうなぎ、実は…

中国では30年ほど前からヨーロッパウナギという種が養殖されている。欧州全体に分布する種で、中国で養殖された多くは日本へ輸出されてきた。だがヨーロッパウナギも不漁が続き、09年にはワシントン条約で取引規制の対象になり、EU(欧州連合)は10年からは実質輸出を禁止した。現在ではニホンウナギ以上に、絶滅が懸念されている。

これほど資源が減っていても、スーパーや外食店では安いうなぎを売っているのはどうしてだろう。

Photo by Koichi Imai

北里大学でうなぎの生態について研究する吉永龍起准教授は、11年から大学のある神奈川県相模原市のスーパーや外食チェーン店で輸入もののうなぎのかば焼きを買い集め、研究室でDNA解析をして品種を調べてきた。調べたサンプル数は合計670にのぼる。

吉永さんの調べによると、日本で売られている輸入うなぎの中に、EUにより輸出を禁止されているはずのヨーロッパウナギがたくさん入っていた。とりわけニホンウナギが不漁だった13~14年は、半数近くがヨーロッパウナギ。私たちは知らないうちにヨーロッパウナギを食べていたのだ。

スーパーのうなぎは、国産か輸入の表記はあっても品種までは書いていないことが多い

15年以降、ニホンウナギの稚魚が多く獲れるようになり、「今年はスーパーや外食チェーン店のうなぎもニホンウナギ中心になりそう」(吉永さん)。

とはいえ、今後ヨーロッパウナギが日本に入ってこないとは限らない。禁止の網をかいくぐり、EUに加盟してないモロッコなどを経由して取り引きされているのだ。「産地だけでなく、ニホンウナギやヨーロッパウナギなど品種にも興味を持ってほしい」と吉永さんは話す。

“本当の産地”がわからない

うなぎには、流通経路が不透明だという問題もある。うなぎの稚魚を採るには都府県(北海道にはうなぎ漁はない)の許可が必要で、採ったら全量を養殖池に入れる。だが16年に都府県が調べた「うなぎの稚魚を採った量」(7.7トン)と、水産庁が調べた「池に入れた量」(13.6トン)には5.9トンもの開きがある。

これは、“国産”のうなぎの稚魚の4割以上が、どこからやってきたかわからないということ。許可を受けていない人が採っていたり、採った量を正しく報告していなかったりする可能性があるのだ。

水産庁は昨秋から、漁の許可を受けた人だけが持てる証明書や帽子、ワッペンを着けるよう義務付けている。ただ、うなぎの稚魚は長さ約6センチメートル、重さ約0.2グラム。つまようじほどの大きさで、ごく少量の水があれば持ち運べてしまうから管理は難しい。

昨年のワシントン条約締約国会議では、ヨーロッパウナギだけでなく、代替となるニホンウナギなどについても、資源や取引の実態を話し合うことが決まった。だが、どこからやって来たのかがわからないままでは、うなぎの生態をどう守っていくか話し合うことも難しくなる。

ちなみに丑の日にうなぎを食べる理由は諸説あるが、一つは、江戸時代に、東京・神田のうなぎ屋が考えたというもの。1800年頃に創業した老舗うなぎ専門店「大江戸」の当主で、全国鰻蒲焼商組合連合会の理事長でもある涌井恭行さんが、1824年に出版された江戸のガイドブック「江戸買物独案内」を見せてくれた。

うなぎ店がたくさん載っている中、神田のうなぎ屋・春木屋善兵衛の店にだけ「丑の日元祖」とある。善兵衛の店が「土用の丑の日」を呼び掛けたのだろうか。

江戸買物独案内の春木屋善兵衛の店には「元祖」の文字。うなぎのかば焼きは江戸時代に広く食べられるようになったという

東京・日本橋にある「大江戸」は、もとは浅草で草加屋吉兵衛が開いた店。江戸時代の川柳の句集「誹風柳多留」には、こんな歌がある――「二朱判で吉兵衛を食う江戸生まれ」。

東京・日本橋のうなぎ屋「大江戸」の当主、涌井さん

「うなぎのかば焼きは高級な食べ物だった。それでもおカネ(二朱判)をポンと出してかば焼きを食べる、江戸っ子の心意気をうたったのです」(涌井さん)。

今や、うなぎはスーパーで“庶民”が買える食べ物になった。だが、その裏には、うなぎの漁獲をめぐるさまざまな事情がある。丑の日をきっかけに、うなぎの買い方や食べ方について家族で考えてみるのもいいかもしれない。

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