「触れられること」をまじめに考えてみたら

Photo by MARIA

無限に広がる水玉や網目の作品でおなじみの現代アーティスト、草間彌生さんは、精神科病院に暮らしながら創作活動を行っていることで知られています。大変な読書家でもあるそうで、小さな病室にたくさんの本が積み上げられているのをテレビで見たことがあります。

印象的だったのは、草間さんの読む本に小説やベストセラーはなく、大半が科学の本だったこと。意外にも思えますが、その理由は、小説やエッセイのような「料理された」読み物よりも案外、難しいと敬遠されがちな科学の本の方に、創造のための「生の」ヒントが多く隠れているからなのかもしれません。

この連載では、どんな女性にとっても、生き、考えるのに役に立つ「生の素材」を扱う本、広い意味での科学の本を、あれこれセレクトして紹介していきます。

今回紹介する『触れることの科学(原題:TOUCH: The Science of Hand, Heart and Mind/触覚:手、心、意識の科学)』は、そんな科学の本の中でも、格別に興味深い生の素材が満載の1冊。子どもやパートナーと肌で触れあう機会の多い女性たちであれば、きっと、触れることよりも、触れられることを思い浮かべながら読み進めることでしょう。

『触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか』(河出書房新社)

筆者のデイヴィッド・リンデンは、触覚ではなく、記憶の研究を専門とする脳神経学者。触覚研究については専門ではなく「マニアなだけ」と照れ隠ししますが、触覚に関する私たちの身近な疑問に専門的な研究成果で答えながら、楽しいポピュラーサイエンスの旅へといざなってくれます。

1日1時間触れるだけで

リンデンによれば、触覚は人間の発達の過程で欠くことのできない感覚。

その証拠に、1980、90年代、ルーマニアの児童保護施設では、生まれてすぐに他者との触れあいの少なかった子どもたちの間で、成長の遅れ、強迫的に身体を揺するなどの行動が現れました。放置すると、気分や認知、自己コントロールに、成人後も持続する障害が見られましたが、幼い段階で1日1時間だけ子どもに触れ、手足を動かしてやるだけで、それを防ぐことができることがわかりました。

触覚は、ほかの五感(といっても、触覚が五感の一つという認識はあまりないと思います)と同じように、感情と強く結びついた感覚でもあります。

同じ速度と強さで触れられても、嫌な上司にされるのとパートナーにされるのとは違って感じられます。パートナーとの間でも、ふたりだけの甘い時間と、けんかの後でそうされるのとでは感じ方が違いますね。

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しかし、リンデンのいう触覚と感情の結びつきとは、単に「気の持ちようで触られた感じが違う」といった話ではありません。

触覚においては、神経の接続と心で活性化する脳が、決定的な役割を果たしているのだといいます。

優しく軽く愛撫されると

人間の皮膚のほとんどは毛で覆われています。有毛皮膚には、脳に痛みや温度を伝える神経線維として知られる「C線維」がありますが、一定の速度で軽くなでられた時には――具体的には前腕や大腿で秒速3から10センチで触れられると――痛みや温度だけでなく「触られた」という情報を脳に伝えることがわかってきました。

優しく触れられた時だけ作動するので、リンデンはこれを「愛撫のセンサー」と名付け、このセンサーがあるからこそ人は優しく軽く愛撫されると快感を得るのだと説明します。

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人間の皮膚はほとんどが毛で覆われていると書きましたが、毛のない例外的な皮膚もあります。手のひらと足の裏、唇、乳首。そして、クリトリスと包皮、亀頭です。

こうした無毛細胞には例の「愛撫のセンサー」は存在しない代わりに、性的感覚の伝達に特化したセンサーや、性感センサーに似た解剖学的構造を持つ別のセンサーが多くあります。しかし、性感センサーが性器以外に存在するのか、逆に、性感に似たセンサーが本当に性感に関連しているのかについてははっきりしないそう。実は、性的快感の伝わり方、感じ方は、人間という種の保存に関わる重要な問題であるにもかかわらず、驚くほど研究の進んでいない分野だそうです。

触覚は、判断する、記憶をつくる、何らかの行為をするなど、何らかの結果を導く感覚なので、意識した時にはすでにその複雑な情報が統一され、利用可能な状態に処理されている必要があります。

だから、触覚が伝わるとき、脳の感情・認知の中枢も同時に刺激されます。脳には人と人との間の感情を伴う接触に特化した中枢もあり、リンデンはこの中枢が無ければ、オーガズムという圧倒的な経験でさえ、くしゃみのような単なる発作で終わってしまうだろうといいます。

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神経の接続と心で活性化する脳に制御された、触れられることを感じることの不思議。この不思議を、ここに書くにはちょっとはばかられるような(!)実験やなるほどと思わせる研究を通じて、あくまでも真面目に考えるこの本を読み終えると、今まであまり意識することのなかった触覚という感覚を、少しだけ「戦略的」に使えるようになるかもしれません。

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