「どうすれば幸せになれるのか」を考えよう

Photo by MARIA

人の心は変化する。「バリバリ仕事をしている彼がステキ」と、仕事一筋の彼を追いかけて射止めた私の友人。結婚して子どもができると、会った時に、「仕事ばかりで、家のことをまったくやってくれない」と文句たらたら。

「恋愛中は、『仕事ができない男なんてダメ』と、あんなに言ってたじゃない」と突っ込んでみたけれど、「仕事もできて、ちゃんと休みを取って、家のこともやってくれるのが理想」と言う。気持ちはわかるけれど、ちょっと彼が可哀そうになってくる。

もっとも、私も同じだった。スポーツ新聞の記者で、走り回っている彼がステキだと思ったけれど、結婚してもまったく家に帰って来ない彼にキレた。文句ばっかり言う日々が続いた。

特に子どもが小さい時は孤独。言葉も通じない。なんで泣いているのかも分からない。夫には、いっぱい話を聞いて欲しかったりする。でも、夫は夫で自分のことで精一杯。なかなか、ゆっくり話を聞いてくれない。そして、子どもは敏感。こちらがイライラしていると、余計に泣いたり、反抗的な行動をしたりする。こうなると悪循環。イライラもピークに達する。

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子どもができたとき「とにかく無事に産まれてくれたらそれだけでいい」
なんて思ったことなんてすっかり忘れている。子どもが大きくなって、学校に行き出すと、テストも受験も気になる。「勉強なんてできなくてもいい。明るく素直に育ってくれたらいいわ」なんて言っていた友人も、子どもの成績に一喜一憂したり「まったく、私の言うことなんてきかない」とイライラしたりしている。

「『明るく素直な子どもだったらそれでいい』って、言ってたじゃない」と突っ込んでも「でも、入った大学、入った会社で人生の大半が決まるんだよ」と、聞く耳なんてない。その気持ちもわかる。世の中を知れば知るほど感じることだってある。

そんな時、少しだけ原点に戻ってみることって大切。
「いったい私はどんな人生を歩みたかったのだろう」
「自分は、どんな風に生きたかったのだろう」
「毎日、どんな自分でいたいのだろう」

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私はいつもご機嫌に生きていたかったはず。いつも笑顔でいたかったはず。何よりもいつも夢見て前向きでいたかったはず。そんな感情を思い出す。

すると、「じゃあ、どうすればいいのだろう」という発想になる。私の場合は、夫を変えた(笑)。「配偶者の人事交代」と人には言っている。

だからといって、歴史は繰り返す。人は、ないものねだりをする。「私を自由にさせてくれる夫がいい」と思って今の夫と結婚したはずなのに、家で夫がダラダラしているのを見ると、「ほかにもやらなきゃならないことがあるでしょ」と、自分の都合でイライラしたりする。

そのくせ、夫に仕事が溜まっていても、私の都合でゴルフや旅行など遊びに誘う。「僕の都合はどうなるの」と言われても無視。そして、ときどき言い合いになる。険悪にもなる。とはいえ、ありがたいことに私は出張が多い。出張先で一人になって考える。「原点は、何だったのだろう」。

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やっぱり、行き着くところは、みんな同じじゃないだろうか。
「幸せになりたい」
「幸せになりたかったはず」
その言葉が出てくる。じゃあ、どうすれば幸せになれるのか。

「イライラしている場合じゃない」。そう思うと原点を思い出す。「ご機嫌でいたかったはず」。だったら、人にいろいろ求めている場合じゃない。相手の良いところを思い出してみる。原点に戻ってみる。「優しいよなあ」「私を好きにさせてくれているよなあ」。そう思うと優しい気分になる。

子どもだって同じ。多くを望んでなかったはず。「幸せになってほしい」が原点だったはず。なのにいつの間にか、できてないところばかりに目が行って、すぐに怒ってばかりいた自分に気づく。最近は、「幸せ?」とメールする。「めっちゃ幸せ!」と返信があれば、ホッとする。

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産まれてきた時は、何ひとつ持ってなかったはず。そして、死ぬ時も何ひとつ持って死ねない。わかっているはずなのに、この世で生きていると、
「あれも欲しい」
「これも欲しい」
「こんなこともしたい。あんなこともしたい」
と、どんどん欲張りになってしまう。そして、ないものに目を向けて、イライラしたり、悲しくなったりする。でも、それが人間で、生きているということ。

それでもたまには原点に戻って、あるものに目を向けて、「いっぱい持ってるじゃん」「生きているだけでも喜ばなきゃ」と、幸せな気分になるのも悪くない。……と、自分に言い聞かせている。

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