自分の心地よさ、自分のさじ加減でいいじゃない

Photo by MARIA

3月に私が旅行したデンマークは「パンケーキの国」ともいわれる。パンケーキのように平坦で、山らしい山もなく、最も高いところでも海抜200mもない。平坦だから自転車移動もしやすいし、ベビーカーや車椅子を使うにもラク。実際に歩いてみると、どこまでも平らで「バリアフリーにわざわざ取り組む必要もないんじゃないか」と思ったほどだ。

デンマークが福祉先進国になった一因には、そうした土地柄の恩恵もあるのではないか? ちょっと斜に構えて考えると、そんな見方もできる。もちろん、政府の綿密なプランニングがあればこそに違いないし、その姿勢に学ぶところは大きいのはよくわかる。でも、土地の成り立ちから環境まですべて異なる日本でそのまま真似しても、うまくいくとは限らないのではないか。

環境も背景も違う

「世界一幸せな国」と評されるデンマークは福祉先進国として有名で、ワークライフバランスの実現もしやすい。今回の旅行でも、すばらしい制度、うらやましくなるような施設、自然に存在するバリアフリーなど、多くの発見があった。でも、マジョリティがある程度優先されるのは、デンマークだって変わらない。デンマークのやり方や価値観が生まれてきたのには、それが必要とされる背景や、それを後押しする環境があったはず。

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いまの日本の社会で、健康な体をもち、日々満員電車に揺られて会社へ向かう人をマジョリティとすれば、ベビーカーを押して電車に乗る人はマイノリティといえるだろう。ベビーカーを持ち込む親について論争が起こるほどだ。

でも、少子高齢化が進む日本で、車椅子を使う人が増えていったらどうだろう。はたらき方がどんどん多様化して、会社へ通う人が大多数ではなくなったら、日本の社会は変化せざるを得ない。

日本には日本の置かれた環境があって、変化する理由もデンマークとは違う。そうなれば、デンマークのやり方が日本にも適しているとは限らない。いいなと思った道具や、選択の幅を広げられるような考え方は取り入れたいけれど、「デンマーク流がオールOK」というわけではないのだ。

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当たり前かもしれないけれど、これまで遠くから眺めてきたデンマークという国に間近に接することで、そんなことをわがこととして実感できた。

愛情をプレッシャーにしない

逆に、遠くから眺めることであらためて気づくことができるのが、日常の自分についてかもしれない。正直に言うと、家族から離れて過ごした旅行の間、私は圧倒的な解放感に包まれていた。

この解放感はいったいどこから生まれているんだろう? そう思って自分の気持ちをひも解いていくと、なんと「私、本当は家事がキラいだったんだ! 無理してやってたんだ!」という発見にたどりついた。厳密には「作らなきゃいけない」という義務感でする料理、「私がしなければ」という責任感で負う家事がつらかったのだ。

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その義務感や責任感は、夫や子どもから課されたわけではなく、私が勝手に背負っていたもの。親の手作りの料理は、子どもにいろいろなものを与えることができる。それに、夫が会社員だったころは多忙で平日はほとんど家にいなかった。子どもへの愛情や家庭の状況から始めたはずなのだけど、そこからいつの間にか、「手作りじゃないと!」「私がやらないと!」と決めこんでいたのだと思う。

そういえば、以前、家族みんなが食卓に集まって食事することにこだわっていた時期があった。家族全員がそろって「せーので、いっただきま〜す!!」という食事の仕方が昔から身についていた私は、理想の食卓に固執するあまりピリピリすることもあった。

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けれど、あるとき、バリ島の家庭の食卓事情についてのテレビ番組を見た。そこでは、食卓に並べられた食事を、家族が各々のタイミングで自由に食べていた。その姿を見て、「こういう“同じ釜の飯”の食べ方も悪くないな」と気づいた。同時に、私は、“いただきます”をみんなでそろってするのが好きなのだと再確認もした。そこから、一つのやり方に固執するのをやめた。

「自分流」を作るには

日本とデンマークでそれぞれ“流派”が違うように、子育ても家庭によって“流派”が違う。「デンマーク流」にはいいところがたくさんあったけれど、それがそのまま自分の家庭でもいいものになるとは限らない。家族の生活環境や家族がどう感じるかということは、一人ひとりすべて違うものだ。

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子育てにはいろいろなやり方がある。見聞きしたものに「いいな」と思うやり方があることもあるし、ときには周りから正解を押し付けられることもある。そうしたやり方をちょっと試してみるのはとてもいいことだと思う。けれど、それで義務感を感じてしまったら、つらくなったら、それは自分には合わないやり方なのかもしれない。

家庭の置かれた環境や「こうありたい」という気持ちによって、必要なものは違ってくる。ほかの人がほめたやり方でも、ほかの人がしていてよさそうだなと思ったやり方でも、「私もこうじゃなきゃ」と決めこむ必要はない。自分に合うやり方を見つけて「自分流」をつくっていけばいいのだ。それを決める基準は、自分の心地よさ、自分のさじ加減で十分だ。

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