新しい環境があなたの“資産”を作る

Photo by Fumishige Ogata

医師であり研究者であると同時に、5人のお子さんの母でもある吉田穂波さん。“100年ライフ”の生き方を示唆してくれる本『ライフ・シフト』を読み、勇気づけられた点がたくさんあるといいます。「私の人生は『ライフ・シフト』そのもの」に続く、2回目の読書コラムをお届けします。

長寿社会となるこれからの時代、一つのキャリアに集中するよりは、別の選択肢をたくさん持っておくことが大切だ。『ライフ・シフト』ではそれを無形の資産――「変身資産」と呼んでいる。著者がここで「変身資産」と名付けてくれたことに、私は心からの感謝と敬意を表したい。

もちろん一つのことを続けた人は、その道の第一人者になれるし、一つのことを深いところまで深められると思う。でもやむを得ず、あるいは自分の意に沿わない理由で、留年したり退学したり退職したり転職することになっても、それをポジティブにとらえて進んでゆくことをよしとできるかどうか、この本はそうした問いを投げかけているように思える。

Photo by MARIA

社会人という一断面を切り取るのではなく、自分という多面体をいろいろな角度から見ることで、一つの価値観、一つの目盛りでは測れない自分の姿が見えてくる。仕事、家庭、地域、同窓生、趣味などさまざまな場で見せる顔や、さまざまな場面で身に付けてきた経験値が「資産」と名付けられたことで、一本道ではなくても、多様な経験をしてきた自分を誇りに思えてくるから不思議だ。

日本で問われるべきテーマ

米国で生まれたこの本は、長寿のメリットを享受するためにはどうしたらいいか、年齢を重ね長生きすることをポジティブにとらえるにはどうしたらいいか、幸せな晩年を過ごすためにはどうしたらいいか、という普遍的なテーマを追求している。

しかし私には、日本のほうがずっと、この問いかけに対する答えを必要としている気がした。なぜなら、日本では若さや美が尊重され、年齢を重ねるごとに人の価値が下がり、それを嘆く雰囲気を感じるからだ。

日本では、若者が自由にキャリアチェンジし未知の世界に進むよりも、安定した職に就くことを親たちが求める風潮があるように思う。しかし、家族や友人、他人と比較するのではなく、どんな時期も人生の大事なプロセスであり変身資産を蓄える時期なんだと、その人なりの境遇をポジティブにとらえれば、自分で人生の舵を取りやすくなる。

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どんなふうに「変身」するかは自由だ。最初のキャリアに縛られる必要はないし、変身を繰り返してもいい。

あまり大きな声では言えないが、私は数年ごとに転職を繰り返してきた。研修医、大学院、その後夫の留学に付き添いドイツとイギリスに住み、2~3年ずつ、まったく違う場所で違う仕事を経験した。海外で患者さんや家族のトータルヘルスケアを学び、病気の治療より健康維持を大事にする意義に気づいたことで、日本でも女性総合外来を学びたいと思うようになった。

今から10年前は、女性総合外来がまだ日本でも新しい領域だった。診療や処方を実践していると、わからないことや足りない知識がたくさん見つかる。もっと勉強したいと思い、米国の公衆衛生大学院に進んだ。そこで広げた視野が私を社会活動に駆り立て、留学から戻ってすぐの時期に東日本大震災の支援活動を通して母子を守るシステム作りの必要性を感じ、国の政策を研究する立場になった。

今は、母子保健(女性が健康で幸せに暮らし、子どもを産み育てるための知識やノウハウ)や災害時対応システム、医療分野におけるICT化(情報を電子化し利活用できるシステム)など、思いもよらなかった分野に進んでいる。

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変身を成功させるには自分がどんなことをするのが好きなのかをよく理解して、いつでも話を聴きに行けるような幅広いネットワークを作り、新しい経験にチャレンジすることに対し、積極的な姿勢を持つこと。自分がハッピーでないと気づいたら、ここからどうすればいいかと自分から答えを探して動く中でこそ変身が可能になる。

悔しくてもクサらない

私はどうやって変身資産を身に付けてきただろう。これまでの経験を振り返ると、理不尽で意に添わない環境に押しやられたときでも、クサッたりやけっぱちになったりしなかったことだと思う。どんなに悔しくても“幸せになってやる”という断固とした決意と楽観的思考のもと、「自分なら選択しないような道に進ませてくれた」「何かに手招きされている」と前向きに思うことが大きかった。

かつては「赤ひげ」医師のように、患者のそばに寄り添い、いつでも駆け付けるよい医者を夢見ていた。しかし、夫のドイツ留学や国内の転勤に同行したり、子どもが生まれて夜勤が難しくなったり……。海外の生活では生活保護を受けるような立場のこともあれば、世間から取り残されたと思ったこともある。そのときそのときで自己肯定感がどん底まで落ち、情けなく思えた。

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でも医師は患者さんの治療をしていなければ医師ではないのだろうか? 病院に勤務して診療をしていなければ役に立たない人間なのだろうか? 何度も自問しながら、子どものためだけ、自分の学業のためだけに時間を使う自分を許してきた。

やむを得ず立場を変えてきたこと、自分が置かれた状況に合わせ、その時々の家族の形にフィットする立ち位置を探してきたことが、変身資産を培う近道だったのかもしれない。どんなときでも自分は自分。これまでも変身してきたし、これからも変身できる、という自信が、どこででも生きていけるというずぶとさにつながっていると思う。

一歩踏み出す勇気を

まったく新しい状況に置かれると、最初は違和感と抵抗がある。でもいつの間にか、本来の職業である「医師」以外に「妊婦さん」「母」「学生」「小学校のママ友」「同じ公園でラジオ体操をする仲間」という立場が身に付いてきた。

同じように、読者の皆さんの変身資産も、自分の意志であろうとなかろうと、これまでと異なった状況に身を置くところから生まれるのかもしれない。

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もちろん最初は状況の変化に憤慨したり落ち込んだりするだろうけれど、その場その場を「自分の変身資産を蓄えるチャンスだ!」と前向きにとらえて自分の強みにしてしまうといい。違う状況、違う立場に置かれれば、いつの間にか変身資産が身に付く。知らず知らずに見えるものが変わり、付き合う人も変わる。春を迎え、環境の変化に戸惑っている人には、声を大にして「今、あなたの資産が形作られているところですよ!」とエールを送りたい。

足踏みしながらでも前を向いていることはできる。いくつになっても、そこから一歩踏み出してみる勇気は持っていたい。

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