子どもがいてもいなくても…それぞれの幸せ

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石川県に住む大橋智子さん(40、仮名)は、4歳の子どもを育てるお母さん。外から見ればごく普通の幸せな親子に見える。でも、この幸せが本当に貴重でかけがえのないものであることを大橋さん自身、日々感じている。

30歳で結婚、そろそろ子どもが欲しいと病院に足を運んだのは32歳のとき。人材会社のコーディネーターという仕事にやりがいを感じ、また、先輩たちの育休ラッシュで仕事量も増えていた頃のことだった。

34歳で体外受精をスタート。でも職場にはそのことを言い出せない。「治療をしないと子どもができないのは女性として劣っているとか、恥ずかしいという意識が強くて」と大橋さんは振り返る。

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病院ではホルモンを調整するために、その日の診察で「明日もう一度来てください」「次は2日後に来てください」などと言われる。前もって予定を立てられず、そのたびに遅刻したり休んだり。本当の理由が言えないから、いつも嘘をつかなければいけない。憂鬱だった。

妊娠しないまま1年が過ぎ、働きながら治療することがつらくなってきた。「職場につく嘘を前日からいろいろ考え、緊張しながら出社する自分に『何やってるんだろう』と虚しさが募りました」。

仕事を続けたい気持ちは山々だったけれど、迷った末に会社に辞表を出した。36歳で無事、子どもを産むことはできたけれど、今も大橋さんは仕事を辞めたことが正解だったかどうかはわからないという。

「後になって後悔しないように、できることはすべてやりたいと仕事を辞めて治療に専念したものの、それがよかったといえるのはあくまで結果論。ただ、治療についてはそこまでやったことによる達成感はありました」

不妊の人をサポートするNPO法人Fineの代表・松本亜樹子さんはこう話す。

「女性にとっても仕事は重要なアイデンティティの一つ。ただでさえ女性としての自尊感情を失いがちな厳しい治療の中、仕事まで失わざるをえないことは、非常につらい現実です」

近所でも疎外感

「子どものいない人生を考えたことがなかった」という内田佳代さん(51、仮名)。不妊治療を約10年にわたって続けたが子どもを授かることができず、今は夫婦2人の生活を楽しんでいる。

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37歳のとき9歳年上の夫と社内恋愛の末に結婚。そして、それを機に退職した内田さん。年齢のこともあり、まもなく不妊治療を始めるものの、結果はなかなか出ない。

年齢が上がるごとに治療法も変わっていき、内田さんのストレスも次第に膨らんでいく。結婚を機に購入した新居の周りはたくさんの子育てファミリーがいる。子どもの声につい敏感になり、固く握りしめた指先が動かないこともあった。

「子どもを産めないことへの劣等感が強かったので、近所の人たちとも仲良くなれず、疎外感を感じて暮らしていました」

子どもがいるのは当然?

内田さんが45歳のとき、夫は50代半ばに入っていた。定年が見え始める年齢に差しかかりながらも、目の前には家のローンに高額の治療費。

「そろそろ金銭的にも自分たちの老後を考えなければいけない時期だ」と夫から切り出され、治療を終えることを決めた。それまでの治療費は1000万円を超えていた。

治療を終えると「子どももおカネもない自分は社会に必要とされていないのでは」という思いにかられるようになった。それから5年――。

「子どものいる人を見れば今もうらやましいと思うし、不妊の現実は消えません。でも今は夫と2人、自分たちなりの幸せを感じながら生きることが大切だと思えています」

とはいえ、「お子さんは?」と聞かれ「うちはいないんですよ」と答えると「悪いこと聞いてすみません」と言われて胸がざわつくことも。かつて内田さん自身がしばられ苦しんだ「子どもがいて当然」という価値観は、今も内田さんに疑問を抱かせる。

「まだまだ社会に根深く残る『人と同じでないとかわいそう』という価値観がなくなれば、もっと生きやすくなれるのにと思っています」

社会的な居場所がない

36歳のときに不妊治療を始めた寺西奈央さん(47、仮名)。妊娠したのは、体外受精を7回ほど繰り返した末のことだった。

ところが、そろそろ安定期に入るかという15週目、おなかの赤ちゃんに異常が見つかる。全身に水がたまる「胎児水腫」という病気があることがわかり、無事に生まれてくることは望めないという。夫や両親と話し合い、人工死産という道を選んだ。

手術の前日、病院に向かった。子どもの命を絶つことに胸がつぶれそうな思いで検査を受けると、赤ちゃんの心拍は止まっていた。親に罪の意識を背負わせないよう、子どもが自ら天国に行ってくれたのだと思うと、涙が止まらなかった。

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その後も治療を続けたもののうまくいかず、精神的にも追いつめられるばかり。それでも治療を終わらせることができない。治療をやめたら自分に何もなくなってしまいそうで怖かったのだという。

「町で立ち話をするお母さんたちをうらやましく眺めながら『今の自分はいつか子どもが生まれる日のための自分』と思い込み、そのための『黒子』として毎日を送っていました」

友人たちは子育ての真っ最中。たまに会ってもこれといって話せる近況もなく、いつの間にか友人に会う機会も減っていく。自分はただの「不妊治療をがんばっている人」でしかない。そんな誰に伝えるでもない肩書きに、社会的な居場所を失っていたという。

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これが最後と転院した有名病院で言われたのは「あきらめも選択肢に入れてください」。この医師の一言で、寺西さんは治療を終えることを決めた。41歳のときだ。

「不妊治療は妊娠するかしないかのどちらかしかないので、産めない女性たちは『自分は女性として失格なんだ』と精神的に追い込まれてしまう」とFineの松本さんは言う。

夫婦にとって子どもは幸せの一つの形ではあるものの、本来「幸せ」はそれだけではない。日々進化する高度な不妊治療が不幸を生み出す治療にならないためにも、社会全体が「子どもがいて当然」という画一化された価値観にしばられていてはいけないのかもしれない。

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