生き方の選択肢が多いのは本当に幸せ?

Photo by MARIA

7歳になった二女の真心(まこ)は飛行機に乗るのが大好きで、飛行機の音が聞こえれば「乗りたい、乗りたい」と言う。あるとき真心がハンドルを操作する動作をしたので、「もしかして、飛行機運転したいの?」と尋ねてみた。答えはイエス。それを聞いて、私はしみじみと実感した。「そうか、先天性の病気をもつ真心には、生まれた時点でパイロットという選択肢はないんだ、少なくとも今の世の中では」。

パイロットは極端な例だとしても、長女のゆとり(9)に比べて、現状で真心に用意されている選択肢は圧倒的に少ない。通える学校、就ける職業、結婚、出産……真心が選べる選択肢はあまりにも少ないのだ。この子が生まれたときに感じた絶望感はこれだったのかと、気づかされた思いだった。

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私は、自分の思うように生きてきて、人生を楽しいものと思えている。真心はどうなんだろう。選択肢が少なくても人生を楽しめるかもしれない。けれど、選択肢がもっと増えたら、自由が増えたら、真心の人生はもっと楽しくなるかもしれない。そう考えると、真心に選択肢を増やしてみる価値はあるんじゃないだろうか。なにより、私自身が「できない、無理」といった先入観を取っ払う必要があると感じた。

そんなことを考えながら、今年3月、デンマークに行った。「世界一幸せな国」と言われる福祉先進国の実情をこの目で見たかったからだ。

選択肢を与えるデザイン

デンマークでは見るもの聞くこと一つひとつが発見の連続だった。たとえば公園のブランコ。現地でよく見かけたブランコは、丸く大きい座面を4本のワイヤーが支える構造になっていた。座面にはネットがしっかり張ってあって、普通に座って乗るだけではなく、大きい座面にゴロンと横になってゆらゆら揺れたり、友達と2人で並んで乗ったりもできる。

日本に多いブランコは、2本のチェーンに腰かけ板が1枚渡された形で、基本的に1人乗りだし、自分の力で座り姿勢を維持できない子どもは乗ることができない。デンマークの丸型ブランコは、寝たきりの子どもでも楽しむことができる。だから、そのブランコは現地の特別支援学校にもあった。

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健常者向け、障害者向けと分けられた道具は便利ではあるけれど、自由ではない。そうではなくて、デザインをちょっと変えることで、ひとつの道具を自由に使うことができる。いろいろな使い方の選択肢を提供できるのだ。

そんな発想のデザインにはっとすることも多く、社会の課題の解決方法としてもユニークで、なんて開放的なんだろうと思った。日本で感じる窮屈さ、ある種の不自由さに対する一つの解決法を見た思いがした。

自由ならいいとも限らない

選択肢は多いほど楽しいけれど、多いなりに難しいこともあるという発見があったのも、今回のデンマーク行きの収穫だった。

デンマークに住む人々がもつ多くの選択肢には「やらない」という選択肢もある。学校教育においても、「望まないものを選択しない」という選択が可能なのだ。これは、日本の学校教育では考えがたい。日本では決められた“レール”を歩むのが“普通”とされ、そこからちょっとでも脱線してしまうと生きていくのが難しくなってしまう。そのレールは、子どもを束縛する枷のようにも見える。

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現地で出会ったデンマーク人の一人は、「デンマークで何かを極める人は人口の数%にしかすぎない。それ以外の人は超ぬるま湯に浸かってるんだ」と語った。「望まないものを選択しない」という選択は、ともすれば逃げ道にもなってしまうのだという。

自分で決められることは自由だ。多様な生き方が共存する社会ではいくつもの選択肢が必要だし、ときには道なき道を進むという選択肢も許容する社会であってほしい。けれど、それは、ちょっとつまずきそうになったらすぐ逃げればいいということとは違う。決められたレールもなく、何かあればいつでも“チキンウェイに退避”できるという状態は、極めるまでの道のりを難しくしているともいえる。

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決められたレールから脱線するのが難しい日本と、決められたレールがないに等しいデンマーク。どちらがいい、どちらがよくないということではなくて、結局は本人次第なのだ。

選択肢があるから幸せ、ないから楽しくない、とは限らない。レールがあることは意外と悪くない面もある――。そのレールをいつでも外れることができるという選択肢があれば。日本とデンマーク、その選択肢のあり方がうまくブレンドされると、バランスがよくなるのかもしれない。

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