お母さんの台所仕事は尊い

Photo by MARIA

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日もとっぷりと暮れた暗い道。前に荷物、後ろに小さな子どもを乗せて、保育園帰りらしい女性が自転車をこいでいる。後ろに座る男の子の手には菓子パンがあって、寒空の下、鼻をすすりながらもぐもぐとパンをかじっている。

信号待ちで自転車が止まると、隣に立った年配の女性がけげんな顔で自転車の女性と子どもを見る。「こんなに遅くまで子どもを連れて」「こんな時間に菓子パンなんて食べさせて」。後ろから見ている私は、年配の女性の顔からそんなセリフを想像する。自転車をこぐお母さんもきっとその視線に気づいている。

後ろめたさが抜けない

子どもを預けてはたらく女性が本当に増えた。妊娠しても仕事は辞めず、育児休職を取って復職しはたらき続けるのが一般的になりつつある。バリバリはたらくのが当たり前というわけでもなく、自分のペースではたらきたい人も増えている。女性がはたらきやすい、いい時代になったと思う。

でも実は、お母さんたちはその負荷に疲弊してもいる。会社で定時まではたらいた後、子どもを迎えに行き、帰ったらお風呂に入れてご飯を作り、洗濯をして子どもを寝かせ……。毎日やることが盛りだくさんで、重いのだ。家事や育児に時間をかけることができない後ろめたさもストレスになっている。

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また外食。また買ったお総菜に菓子パン。私だって手をかけた食事を作りたい。私だって子どもと一緒に過ごしたい。なのにできなくて疲れ切っている。

子どもたちが保育園に通っていた頃、私もあの自転車の女性と同じだった。仕事を終えてお迎えに行くと、自転車の前に息子を、後ろに娘を乗せ、カゴには自分のカバン、ハンドルには子どもたちの荷物をぶら下げて家路を急いだ。おなかがすいた子どもたちがぐずらないように、お菓子を準備して食べさせることもあった。疲れて寝てしまった娘がずり落ちないか冷や冷やしながらの3人乗りで、よくケガをしなかったものだ。

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夫がいない夜のご飯はいつもカレーだったし、夜だけではなく朝ご飯だって、汚さず残さず食べてくれるパンとウインナーばかりだった。それしかできなかった。それで精いっぱいだった。

だから今、自転車の女性を見て思うのだ。「頑張れ、頑張れ。外食も買ったお総菜も、帰りの菓子パンも全然悪くない。便利なものはどんどん使って、どうにか今を乗り越えよう」と。子どもにとってはご飯の内容よりもずっと、お母さんの笑顔が大切だ。イライラして作られたおかずより、笑って一緒に食べる総菜コロッケのほうが子どもにとっては何百倍もおいしい。

台所は家の真ん中

そうやってごまかし、どうにか台所に立ち続けていたら、ある日ふっと楽になっていることに気づく。子どもの成長とともに、いつの間にか時間に余裕ができていることに気づくのだ。そんなとき、きっとまた包丁を握りたくなる。今日は買ったお総菜のほかに卵焼きくらい焼こう。今日はオムライスが作れるかも。食後のデザートにリンゴでもむこうか。そうやって少しずつ、できるようになってくる。家族のためにご飯を作りたくなる。台所は、家の真ん中だと思う。台所の役割は、家族の食事を支えること。つまり命を支えることだ。

自分を含め、家族は外でいろいろな思いをして帰ってくる。楽しいこともあれば、泣くほどつらいこともあるだろう。「ただいま」と帰ってきたそのときに台所からいつものおみそ汁のにおいがしてきたら、どれだけ心がほぐれることか。小さい頃、何があっても、家の台所に帰ってくれば母の背中があり、ご飯の炊けるにおいがした。それだけで安心できた。自分の台所を持った今、家の真ん中で、家族の心と体を丈夫にするためにご飯を作るということが、何と尊い仕事なのだろうと思う。

だから、お母さんには台所に立ち続けてほしいのだ。疲れていたら、油揚げ一枚焼くだけでもいい。お漬け物だけでも塩むすびだけだっていい。手を動かし、ご飯を作ってほしい。台所を大切にしてほしい。

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過ぎ去った今だから言えることだが、カレーばかりだった夕飯も、パンとウインナーばかりだった朝ご飯も、子どもの心と体をちゃんと育ててくれた。今小学5年生になる娘が私に言ったことがある。「小さい頃、父ちゃんがいない夜はいっつもカレーだったよね」と。いたずらっぽく、うれしそうに。

そのとき思った。そんな日々もきっと、子どもたちの心には楽しかったご飯の記憶として残っているのだ。必死で台所に立ち続けた母を、子どもたちはちゃんと見てくれていたのだ。

最近私が台所に立つと、子どもたちは「今日の夜ご飯、なあに?」と聞く。台所に立つ人にとって、なんてうれしい質問だろうと思う。だってそこには、「ご飯が楽しみ」という気持ちがあふれているから。

食べることは生きること。
急がなくても、少しずつでいい。
これから何があっても、家の、家族の真ん中にある台所を大切にしようと思う。

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