「釜定」の南部鉄瓶は、母の思い出とともに

結婚したばかりの頃だから、もう10年以上前のことになる。母が盛岡に住む友達のところへ、一週間ほど遊びに行くと聞いた。

友達の家に一泊した後、温泉に数日泊まるという。「すごくいいお湯だから、あんたも一泊でも二泊でも泊まりにくればいいのよ」。母はうれしそうにそう言った。

その前年に父を亡くし、しばらくふさぎ込んでいた母の、久しぶりに見る笑顏だった。父が行けなかった温泉に行って自分は元気になるのだと言いながら旅支度をする母を見て、私も盛岡に行きたくなった。

南部鉄の美しい鉄瓶

実は私には盛岡でどうしても行きたいお店があった。南部鉄瓶の「釜定」だ。

それまで盛岡の母の友達からは、度々南部鉄のお土産をもらっていた。風鈴、栓抜き、急須……なかでも風鈴の音といったら、道行く人が振り向くほどの美しい音色で、夏になると窓辺に下げて涼しげな音を楽しんでいた。

いつだか雑誌で「釜定」の鉄瓶を見た時、そのフォルムの美しさに心奪われた。あの風鈴と同じ南部鉄でできた美しい鉄瓶で沸かすと、お湯がまろやかになるという。

使えば使うほどつやが出て、一緒に年を取ることができる鉄瓶。以来、まるで恋したかのように、いつも私の頭にあった。

母の楽しげな様子と恋する鉄瓶に誘われた私は、一足先に出発した母を数日後に追いかけ、盛岡に向かうことにした。

母との二人旅は初めてのことだった。母と入った秋田の温泉も、車で出掛けた小岩井農場も、夕食後にお酒を飲んで歌ったカラオケも、泊まった宿も、とても新鮮で楽しかった。

盛岡駅の別れ際、母がちょっと涙ぐんでいたのを見て、父のことや、私が結婚したこと、初めての二人旅のこと、色んな思いが母の中にあったのだと思うとちょっと切なくなった。

つるんとした丸いフォルム

「釜定」へは、母と別れてから向かった。棚にはたくさんの鉄瓶が並んでいたが、恋する鉄瓶はすぐに目に飛び込んできた。「新珠肌」。

つるんとした丸い鉄瓶はこの目で見ても本当に美しく、これがやっと手に入るのだと思うとドキドキした。ところが、だ。恋い焦がれた新珠肌は、連れて帰ることができないという。

なぜならその頃、釜定の鉄瓶はものすごい人気で、注文後早くても半年経たなければ手に入らないとのことだった。「手作りだもの仕方ない、待ってるからね」と新珠肌に別れを告げ、半年後を楽しみに注文してから店を後にした。

帰り道、本当だったら重い鉄瓶を抱えて帰るはずだったのに、手元にはボストンバック1つ。新幹線の中で母の涙と鉄瓶を思い出し、何か大事なものを置いて来てしまったような気がしてならなかった。

半年後、ようやく届いた重い重い新珠肌を、しばらく抱きしめていたことは言うまでもない。

夫は時々言うのだ。

「これさびてねーか?」
「これ重くねーか?」
「熱っちいっ」

私の大切な鉄瓶に向かって。使い勝手が悪いという文句をちくりちくりと。でもそんな夫の文句など、どうってことはない。私はあれ以来10年以上、この鉄瓶を愛し続けている。

朝イチの白湯が習慣に

この鉄瓶で沸かしたお湯で淹れる煎茶は間違いなくおいしい。そしてこの鉄瓶を手にしてから日課になったのが、朝一番の白湯の習慣だ。毎朝この鉄瓶でお湯を沸かしてカップに注ぎ、粗塩をぱらりと入れ、少し冷めたころにゆっくりと飲む。朝一番にのどを通るこの白湯は、まるで体の中を掃除してくれるような気がするのだ。

この習慣のおかげか、貧血症も改善されてすこぶる調子がよくなった。最近になってようやく、沸かしたお湯のあたりがよい、つまりお湯がまろやかであることが、わかるようになってきた。

何より、台所にこの鉄瓶があるとホッとする。それが、台所に立つ自分にとっていちばん幸せなことなのかもしれない。

合いたくて合いたくてたまらなかった鉄瓶と、母と過ごした盛岡での休日と、盛岡駅での母の涙と、いろんな思いがごっちゃになったあの時。考えてみれば、この鉄瓶に巡り合っていなかったら、私は盛岡に行かなかった。盛岡に行かなければ、母の寂しさを受け止めることもできなかった。必要だったのだ、たぶん。あの時の私にはこの鉄瓶が。

そうやって私や家族を見守ってくれているような道具が、いつも、いつまでもあるというのは、幸せだ。

今朝もシュンシュン音を立てながら、鉄瓶でお湯を沸かす。

(写真はすべて「niguramu」提供)

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